理想のあの娘、宇宙の子

完全に個人的なものですので、不快に感じる場合があります。「そもそも匿名な時点で、論としての効力はない」という前提の元、主に未来の自分(そして同志)のために書いているものです。攻撃・思想の押し付けをする意図はありません。

『コンドームは大人へ、駄菓子は…??』

子どもの手の中へ。これは、ふとしたときに思い出しちゃう、後悔している話なんですが。『駄菓子の話』はまたいつかやります。

 

駄菓子。駄菓子は良い。とても良い。俺は好きだ。スーパーやコンビニにはそんなに置いてないけど種類がたくさんあって、安くて、カラフルでワクワクする。梅ミンツ、コーヒーシガレット、ウンチクングミ、定番のうまい棒、、、、等々。挙げれば切りがない。僕はよく、簡単な贈り物として使うんです、駄菓子。

なんか懐かしいし、自分でわざわざ買いに行く人もいないだろうし、お金かからないし、いろんな種類詰め込めるし、貰うと意外と嬉しいと思ってて。(あれ?あんまり嬉しくない??)

流石の俺でも、あの娘へのプレゼントにはしないけど、ちょっとした差し入れみたいな時には結構アリだなと思っている。

 

先日、とは言ってももう大分前のことになるが、ちょっとした餞別代わりにしようと思い、駄菓子屋さんに行った。かわいいお母さんと、それよりもっとかわいい男の子が楽しそうにお菓子を選んでいた。すっごい一生懸命選んでいた。クジでドラえもん当たってすっごい喜んでいた。子ども、すっごい幸せそうだった。

その脇で、俺。『あ、これも!ポイ!これも!!ポイ!!!』(目に付いた駄菓子を一心不乱にカゴに入れる)

……眠かったんだ。普段寝てばかりなために、やるべきことが一気に押し寄せてきて忙しかったもんで一睡もせずに買いに行ったんだ。周りのことなんて見えてなかったんだ。

すげえ嫌な大人だったんじゃない?俺。 っていつまでも思い出すんです。あの子が、俺をどう見ていたかはわからない。俺のことを見ていたかどうかすらもわからない。『わぁ、大人になったらこんな風にたくさん買えるんだ❗️すごいなぁ、ボクも早く大人になりたい‼️』だったかもしれない。こんな俺のことなんかその時どう思ったにせよ、もう覚えていないかもしれない。あれぐらいの子どもの世界はきっと、新鮮な驚きに満ちて、毎日が感動の連続だろうし、こんな大人のことなんか忘れていてほしいさ…。

金は正義だ、金があれば大抵のことはなんとかなる。俺もさすがにこの歳だし、幸いなことに好きなことできるくらいの金は持つことができている。あんなだった俺も、一応は大人の形になった。金があれば好きにモノを買える、確かにそれはそうだ。

しかしなぁ。俺がこうして買った駄菓子、あげた人たちは喜んでくれたよ。でもなんだか釈然としない。あの子の駄菓子に対する感情の美しさが眩しい。

 

春は曙。駄菓子は子どもの手に、コンドームは大人の財布の中にあるのが美しい、あるべき形なんじゃないかなと思ったって話です。

話したかっただけです。