理想のあの娘、宇宙の子

完全に個人的なものですので、不快に感じる場合があります。「そもそも匿名な時点で、論としての効力はない」という前提の元、主に未来の自分(そして同志)のために書いているものです。攻撃・思想の押し付けをする意図はありません。

『マッタリとしていて、それでいて歯ごたえがある、至高の贅沢。』

あり得ないほどうまかったんだ。あの「クソ新鮮な」レバーは。

 いいか、よくきいてほしい。本当に食べたいと欲すれば、おまえらが信ずる「ナニカ」は、機会を与えてくれるんだと思う。あるいは、俺が恵まれすぎているのか。または、対して取るに足らない現象だったのかもしれないが(つまり、「大したこと」ではなかったのかも知れないという疑い)。

 俺はこの事実に引いた。美味しすぎて、これを美味しいと感じている自分を疑った。もう何年前か、「それ用として」注文し食べられたこれを食した。『ああ、会いたかったよ』と言った自分が嘘なんじゃないかと疑った、それほどまでに夢のようなことだったと思う。何年求めたことか。

こんなに幸せなことがあるか。そして、何度も言うが、この幸せを疑う自分がいる。夢のようなひと時だった。

 

「本当に欲するならば」それは手に入るのか?

これは、死ぬ瞬間までは分からないことのような気がしている。少なくとも今は。

 

 

あぁ、素面の時に、また必ず会いにゆくよ。素晴らしかった。俺の信ずる「ナニカ」よ、ありがとう。生きててよかったし、もっともっと、美味しいものを美味しく食べたいと そう思うよ。これがポーズだとしても、この姿勢は間違ってないものだと、少なくともそれは間違いないことだと思う。

 

 

抽象的でごめん、物好きのおまえら。なんでそんなに多くの人が見てんだか知らんが、見てくれてありがとな。おまえらも、美味しいものを、最大限に楽しんでほしい。

あぁ、美味かった。ぁ〜、素面で食いてえし 食う。

 

いやしかし…美味かったな。最高の焼肉屋だった。最高だった。恵まれすぎている。